「山蔭神道」は京都の公卿・山蔭家に伝えられてきた古神道で、約二千年の伝統を持ち、現在の当主は、第八十一世になります。
「山蔭」の意味は、蔭ながら天皇家をお守りするという意味があり、歴代当主は明治維新に至るまで宮中にあり、典薬頭(侍医長)を勤めてきました。
ほとんどの古神道が滅び去った現在、本来の神道を受け継ぐものとして、一般にも公開すべく、その口儀秘伝が現在の当主へ脈々と繋がっています。
上福岡斎宮の祭祀・祈祷
当宮では、その口儀秘伝による祭祀・祈祷を執り行っております。
祭祀の部
- 祖霊浄霊祭
- 因縁霊浄霊祭
- 地鎮祭
- 家祓祭
- 竣工祓祭
- 井戸祓上げ祭
- 家屋取壊し祓祭
- 病気平癒祈
御祈祷の部
- 土地(因縁)浄化祈祷
- 酒乱封じ祈祷
- 縁結び、縁切祈祷
- 良縁引寄祈祷
- 子授け、安産祈祷
- 厄年厄祓祈祷
- 自動車の祓祈祷
- その他
鑑定の部
- 命名
- 改名
- 家相・方位
- その他判断
「山蔭流太刀の祓」について
山蔭神道は、古神道と言われ、山蔭神道の元祖は、後漢霊帝の末裔阿知使主という応神天皇時代の漢人系と百済系の渡来人で、十七県の党類を率いて来日。
その後は、一族の総称として東漢(やまとあやし)氏と名乗り、朝廷の財務、外交、文筆、技術等に貢献。
後に天武天皇から八色の姓の忌寸(いみき)姓を賜り、長い年月を経て皇室、大和民族と融合し、日本独自の風習はさることながら、大陸の祭祀学、天文気象学、暦学、地政学、鉄の文化等・伝承・風習と融合し、山蔭神道が出来たといっても過言ではなく、殊に幕末光格天皇、明治天皇の縁りの中山大納言家が加わり紋章が菊を菊の葉で包む紋章からわかるように蔭で皇室をお守り申し上げる役割を果たしてきたものである。
祭祀中の「祝詞」にある様に、文武天皇二年師走大晦日の詔に皇室の祭祀にも四方祓いの中でも養老律令解の儀に「中臣氏は祓幣を奉り、東漢氏は、祓太刀を奉れ」とあり、大陸の天子様の前で新年新しき世に金の刀で四方四隅を祓った故事伝承から日本での皇室祭祀でも行われた祭事をこの「令和」改元の目出度き今日の祭祀に地球の安泰・國家の安寧・皇室の弥栄を祈念させて戴きたいと存じます。
現在は、千六百年ほど前の阿知使主の一族郎党の住居跡に延喜式内社大和國高市郡「於美阿志神社」の祭神として阿智使主神夫妻二柱が祀られています。また、岡山県倉敷市の阿智神社の祭神として祀られている。